History | 宮崎で注文住宅 新築一戸建てを建てる工務店 ピースホーム
ピースホームの門出は2002年。宮崎県小林市に、創業者である福留 秀和の祖父が営む土木会社の中から始まりました。なぜ、土木事業ではなく住宅業を始めたのか?その歴史は1978年に遡ります。  

1978年

当時、高度経済成長の追い風もあって福留の祖父が営む土木事業は毎年成長を続けていました。福留家の長男ということもあって、小学生になると、周囲から家業を継ぐようにと言われ始めます。それと同時に、「なぜ、他の選択肢を選ぶことができないのか?」というモヤモヤした疑問が表れ始めたのです。高校生になった福留は、実家の仕事の手伝いでアルバイトを始めます。簡単な現場作業だけをさせてもらっていましたが、それでもなれない作業を一日中やらされ、とてもハードな仕事という印象を持ちました。そして、「こんなきつい仕事を一生やらされるのはゴメンだ!」と決心するのですが、親にも祖父にもそれを面と向かって言うことはできませんでした。  

1990年~1996年

大学進学の時、福留はある決断をします。アルバイトで実家の仕事の手伝いをしているときに感じた「こんなきつい仕事を一生やらされるのはゴメンだ!」という感情を思い出し、私立大の建築学科の推薦入試を受けるにあたって「ボケたフリをして建築学科」を受験するというものです。父の仕事である土木関連の建設ではなく、建物を造る建築を選んだのです。無事に入試を終え希望の大学に合格することができました。合格通知を受け取った福留は、祖父に報告に行きました。その時、普段優しい祖父の口から出たのは、「なんで土木じゃなくて建築なんだ?なんで儲からない建築なんか受けたんだ?」という意外な言葉でした。当時は、バブル景気がはじける直前だったので公共工事を請け負っている建設業はどこも仕事を抱え、またそれは公共工事だったことから確実に儲かる仕事だったようです。しかし、当時の福留は、儲かるかどうかはどうでもいいこと。そして、2回目の進路を決める時期が迫ってきます。就職という決断です。当然ながら、土木という選択肢を選ぶことはしませんでしたが、かといってまったく畑違いのサービス業や飲食業への就職というわけにもいかず、大学院でも籍を置いていた住宅建築の道へ進むことにしました。初めての就職先は、みなさんもよくご存知の大手ハウスメーカーでした。  

1997年

入社後、福岡支店の設計担当として配属され、お客様の希望を設計図という場所に表現していく仕事を担うことになりました。興味もなく始めた設計の仕事でしたが、いつの間にかその仕事の面白さにのめり込んでいきました。昔から絵を描くことが大好きで、一時は漫画家になりたいとさえ思うこともありましたから、決められた敷地に限られた予算、その中でお客様のご要望を効率的かつ見た目もカッコよくデザインする設計という仕事は、私が想像していた以上にとてもエキサイティングな仕事でした。たまたま設計という仕事でしたが、ラッキーなことに私はこれ以上ないやり甲斐のある仕事に携わることができたのです。  

1999年

大手ハウスメーカーで設計を担当し、仕事にやりがいを見いだし、理想ともいえるとても充実した日々をおくっていた私ですが、その生活は長くは続きませんでした。祖父から父へと代替わりし経営していた建設会社はちょうどその頃が売上のピークを迎えており、猫の手も借りたいほど。休みなく毎日働き続ける父の身を案じた母が、ある日父と一緒に私の勤務先まで実家の建設会社を継ぐよう説得に来たのです。充実した日々を送っていたこともあり、辞める理由は見つかりませんでしたが、最後は母の「父の身体が心配だから」という言葉を耳にした時には何も言えませんでした。結局私は、住宅会社を2年で辞め、生まれ故郷の宮崎に家族と帰る決断をしたのです。  

2000年

地元宮崎に戻ってきた私は、家族4人が住むための家を探していました。帰ってきた当初は、実家のすぐ隣にあった祖父の家を借りていたこともあり、ほぼ二世帯住宅といった状態でした。そのため、家内もいろいろと親に気を遣っているのがわかり、別の場所に家を借りようと思ったのです。当初は、手頃な賃貸・中古物件も探していましたが、それまで貯めていた貯金のほとんどを使い憧れのマイホームを手に入れることになります。実はこの時、本当は以前私が勤めていた会社に施工の依頼をしたかったのですが、私はそれをせず全く面識のなかった地元の大工さんに家づくりを依頼しました。正直言うと、そうするしかできなかったのです。以前私が勤めていたハウスメーカーの家は、とても高いクオリティーが保証されていました。しかし、当然ながらその家を手に入れようと思えば、莫大な借金をしなければ買えなかったのです。   実は、この自宅の新築で体験した大変苦い思い出が奇しくも私が住宅事業をスタートさせるきっかけとなり、現在のピースホームの経営理念『家族がずっと笑って暮らせる住まいを造る』に色濃く反映される要因となったのです。このような経緯で父の建設会社に住宅事業をスタートさせたのですが、ローコスト住宅が注目されるという時流にも乗り、比較的順調なすべり出しもできていました。当時の売り出し文句は、『非常識な高級注文住宅』です。かなり尖ったコピーでしたが自信のある商品でした。特徴としては、オール電化でペアガラスの窓を採用していたことです。当時のスタンダードな住宅は、窓がシングルガラスで、オール電化に対応している住宅はほとんどありません。大手ハウスメーカーでも一部の住宅でしか使われていないほど、高価な住宅そのものでした。しかし、高クオリティーな住宅でも、地場の会社が建築することで高いコストパフォーマンスでご提供することができました。こうして一つ一つ実績を積み重ねていったのです。   また、当時の文化が色濃く受け継がれていることがあります。それは、今なお定期的に開催している『家づくり勉強会』です。家は、一生に一度の大きな買い物と言われますが、だからこそ多くのお客様が家づくりの初心者であるとも言えます。インターネットの普及により、いくら無料でも無数の情報を手に入れられる環境にあるとはいえ、それらの情報がすべてお客様にとって正しい情報であるということはありません。私と同じような思いを今後味わって欲しくない、また家づくりに携わるものとして、「プロとして正しい知識を広く伝えていくことが自分の使命ではないか?」という思いから、2010年に『家づくり勉強会』を開催し始めました。現在はスタッフが最前線に立ち『家づくり勉強会』を開催していますが、もうかれこれ14年(2024年時点)ほど続いています。決して大きなことではありませんが、地道にコツコツとこれから家を手に入れる方のために取り組んできたこと一つ一つがピースホームの礎になっています。