ピースホームの原点は、雨漏りの悔しさから始まった。福留秀和社長が語る家づくりの哲学
ピースホームの原点は、雨漏りの悔しさから始まった。福留秀和社長が語る家づくりの哲学
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取材・執筆:田代くるみ / 撮影:青野 寿都
編集:青野 寿都
公開:2026年6月26日
Index
■自分の人生を自分で決めるための「建築」
■ピースホームの哲学の原点となった、我が家の「雨漏り」
■「借金200年」からの脱出、目覚めた「建築家」の感動
■職人は、同じビジョンを目指すチームメイト
■「家を建てて、本当に良かった」を宮崎から全国へ
ピースホームの創業から約25年。宮崎の小さな工務店からスタートし、今では「建築家と造る高性能な家」をコンセプトに、家づくりを通して多くのお施主様の夢を叶えてきました。しかし、ピースホームの舵取りを担う社長の福留秀和が歩んできた道のりは、けっして平坦なものではありませんでした。
創業当時のピースホーム小林市本社
「大手での設計士時代」「実家の倒産危機と業界の悪習」「自邸の雨漏りという挫折」そして「建築家や職人との出会い」。すべての点がつながり現在のピースホームに至った、福留の物語に迫ります。
■自分の人生を自分で決めるための「建築」
福留の実家は、地元・小林市で土木の総合建設業を営んでいました。5人兄弟の長男として生まれた福留は、幼い頃から周囲に「将来の跡継ぎ社長」と言われて育ちます。生まれた家だけで人生を決められることに強い違和感を抱いた彼は、自分なりの抵抗として、実家の本業である土木ではなく、大学で「建築学科」を選びました。
大学院を卒業後、大手ハウスメーカーに設計職として入社。ここで「仕事が面白くてたまらない」という強烈な体験をします。

「自分が描いた2次元のイメージが、リアルの世界で3次元の巨大な構造物になる。このプロセスがたまらなくエキサイティングでした。最終電車で帰る毎日でしたが、好きな図面をいくらでも描かせてもらえる環境が嬉しく、やりがいしかなかったですね」
しかし入社2年目の夏、父親の体調不良をきっかけに、母から「戻ってきてほしい」と告げられます。同時に、大組織の歯車として生きる将来への不安もあり、福留は帰郷を決意。実家の土木会社へ入社しました。
そこで福留が目の当たりにしたのが、当時の地方建設業を包んでいた理不尽とも言えるシステムでした。
「当時の受注は事実上の話し合いで決まることも多く、さらに公共工事の現場では無理難題を突きつけられる毎日。民間のお客様と直接対話し、喜んでもらうために家を造っていた前職とのギャップに苦しんでいたのが、正直なところです」
10年以上前に使われていたチラシ。よく見るとトップクラスで性能の高い「長期優良住宅」を取得していたことが分かる。時代の最先端を走っていたピースホームの家づくり。
バブル崩壊の余波が地方にも押し寄せ、年々公共工事の予算も減っていた現実にも危機感を抱いた福留は、入社から1年半後、社内でたった一人の「住宅事業部」を立ち上げます。独学でマーケティングを猛勉強し、初めて出した折り込みチラシから見事に受注を獲得。実績を出すことで、反発していた社内の仲間を少しずつ巻き込んでいきました。
■ピースホームの哲学の原点となった、我が家の「雨漏り」
その頃、福留は自身のマイホーム建築を計画します。当時はまだ自社に施工体制がなかったため、紹介された地元のベテラン大工に施工を依頼。プロの設計士として自ら図面を描き、施工を大工に委ねました。しかし、現場が進むと信じられないことが起きます。

「当時は検査が今ほど厳格ではなかった時代。大工さんがよかれと思って、頼んでもいない窓を増やし、バルコニーを勝手に広げてしまったんです。外観も指定と違うものになっていましたが、すでに家は完成しており、拒むことはできませんでした」
さらなる悲劇は入居からわずか3ヶ月後にやってきます。夕食時、ダイニングテーブルにポタリ、ポタリと雨水が落ちてきたのです。天窓や、広げられたバルコニーの下から雨漏りしていました。そして、さらには押入れにも同様の被害が。大工に連絡するも「ちゃんと防水しているから、そのうち止まる。様子を見て」と言われ、何度もやり取りを重ねるうちに、最後には音信不通になってしまったのです。
「プロの設計士でありながら、自分の家で雨漏りを防げず、直してもらうことすらできない。あの時の悔しさは言葉にできませんでした」
福留はあの頃のことを思い出すだけで、心から歯痒さが滲み出すと振り返ります。しかし、この挫折が住宅業界の「構造的課題」に気づくきっかけとなります。

「大手ハウスメーカーの家は性能もアフターも充実しているが、高すぎて普通の若い世代には手が届かない。一方で、地元の工務店や大工はコスパはいいが、品質や保証はその会社のモラル次第で、最悪の場合は逃げられてしまう。これでは、誰もが理想の住まいを手に入れることは到底できません。ならば、僕らがやるべきことは何なのか。その中間にある『手の届く価格で、大手の安心感と高い施工品質を兼ね備えた、絶対に逃げない工務店』を自分が作ればいい。そこにこそ、強いニーズがあるはずだと思ったのです」
この痛烈な原体験こそが、のちにピースホームが掲げる「お客様に絶対に後悔させない家づくり」の確固たる礎となっていきます。
■「借金200年」からの脱出、目覚めた「建築家」の感動
実家の住宅事業を成長させていた福留でしたが、会社の決算書を分析した際、ある事実に直面します。なんと会社にかなりの額の借金があり、今の利益ベースで完済するには「200年以上かかる」というシミュレーションが出たのです。
このまま実家という船に乗り続けていれば、いずれ家族もろとも沈没してしまう。そこで福留は家族を守るために、父に頭を下げて独立することを決意します。
福留は同級生と2人で「ピースホーム」を創業。当初は「ローコスト住宅」のような安さと「ハイスペックな住宅設備」を武器に集客し、経営は順調でしたが、組織づくりができず、採用しては辞めていく「地平線を這うような経営」が10年続きました。
転機は、宮崎市内への出店と、自身の2棟目となるマイホーム建築でした。自分で図面を引き始めた福留は、設計士としての自分の限界に気がつきます。

「1000件以上もプランを作ってきたからこそ、自分の家を描こうとすると、過去の成功パターンの延長線上にある、どこかで見たような『いつもの間取り』になってしまう。まったくワクワクしなかったんです。そこで、外部のプロのプランナー(建築家)に設計を委ねてみました」
上がってきた図面は、自分が描いていたものとはまったく違う提案でした。見た目のかっこよさだけでなく、暮らしやすさも感じられる内容に、福留は大きな衝撃を受けました。
「自分がこれほど心を震わされた『建築家の家』の感動を、なぜ今までお客様に提供してこなかったのか。自分で図面を描くエゴを捨てよう、と決めたのです」

建築家への設計料によって価格は上がりますが、それ以上の価値がある。その代わり、構造や断熱といった住宅性能も大きく引き上げ、デザインと性能の両面で価値を高める方向へ舵を切りました。それまでのローコスト路線を完全に捨て、現在の「建築家と造る高性能な家」というピースホームのスタイルが、ここに確立されたのです。
■職人は、同じビジョンを目指すチームメイト
どれだけ素晴らしい図面があっても、それを形にするのは職人の手です。自邸の雨漏りを経験しているからこそ、福留は職人のモラルと技術を何よりも重視してきました。ピースホームの現場を支える職人たちとの間には、単なるビジネスライクな受発注の関係を超えた、泥臭くも温かい絆があります。

「創業期の恥ずかしい話ですが、ある現場で、こちらの段取りミスで材料が間に合わず、大工さんを怒らせて帰らせてしまったことがありました。必死で謝罪に行き、行動を改めるからともう一度チャンスをもらった。そんな失敗を乗り越えてきた大工さんや職人さんたちが、20年経った今も一緒に家を造ってくれているんです。創業1棟目を建ててくれた大工さんとも、未だに共に家づくりをしています」
腕のいい職人ほど、お金のためだけでなく「変な仕事はしたくない」「胸を張れない仕事はしたくない」というプロとしてのプライド、いわば「粋(いき)」で生きています。福留はその想いに応えるため、毎年9月に「経営計画発表会」を開催し、会社の直近の取り組みや数字、今後の方針を協力業者に共有しています。忘年会や安全大会でも対話を重ね、利益相反になりがちな関係を「同じ一つの家を造り上げるチームメイト」へと昇華させてきました。今では大工の口から「うちはピースホームの仕事しかやらない」と言ってもらえるほどの信頼関係が築かれています。
1棟あたり約600枚の施工写真を撮影。本画像は施工写真の一部をご紹介。
さらに、品質管理を科学的に担保するため、施工プロセスのあらゆる重要工程を記録し、1棟あたり約600枚もの施工写真を撮影しています。
「この大量の写真はお客様への『状況証拠』です。雨漏りの苦い経験を持つ私にとって、施工プロセスを記録し、品質を担保する仕組みは、家づくりへの責任を果たすための重要な取り組みです。職人たちの高い倫理観と、この徹底した仕組みがあるからこそ、私たちは自信を持ってお客様の未来を預かることができるのです」
■「家を建てて、本当に良かった」を宮崎から全国へ
近年、資材高騰が続く中で家づくりを諦めかける現役世代が増えている現状に合わせ、ピースホームは時代のニーズに合わせて柔軟に進化を続けています。しかし、どんなに時代が変わろうとも、「お施主様が安心して暮らせる住まい」という理念の軸だけは、これからも絶対にぶれることはありません。
「宮崎県は平均所得が低く、地方の元気がない県と言われがちです。だからこそ、そんな宮崎からでも、日本全国にポジティブな影響を与えられる元気な中小企業があるんだということを、私たちの家づくりを通して証明したい。そのためには、ここで働くスタッフが自分の会社や仕事に誇りを持って生き生きと働き、ピースホームで家を建ててくださったお施主様が心から満足しているという幸福の循環が必要です。家づくりという人生の大きなイベントを、楽しく、ワクワクする経験にしてほしいのです」
お客様の声を公式HPで公開中。
自らのマイホームが雨漏りしたあの日の悔しさ、実家の危機に直面したあの日の焦り。それらすべての苦難は、いま目の前にある「絶対にお施主様を後悔させない家」を造るための、避けて通れない壁だったのかもしれません。
挫折を知る経営者だからこそ、ピースホームの家には、単なるスペックやデザインを超えた「家族の人生を守る」という本物の誠実さが宿っています。宮崎の小さな一歩から始まった情熱は、これからも多くの家族の未来を、そしてこの街の景色を、優しく、確かに変え続けていくはずです。

